巻き戻し巻き戻し
墓参りを安くあげるため家族で車で東京方面へ。夜行運転の特急コース。
せっかく行くってことで間に見たいものをブッコム。
友人はほとんどアースダム行ってたぽい
2/26 恵比寿映像祭「おかえりなさい、うた」@東京写真美術館
他の展示もおもしろそうやったけど、時間無いので生西さんの展示のみ。
90分あるってことで徹夜運転の体にレッドブルぶち込んで鑑賞。
ばっちりホワイトキューブの空間に高音質のスピーカーがぐるっと6台、超指向性のスピーカーが4台?くらい。まーとにかくすごく精度の高い音で、ここまでだと音は物になるなぁと思った。たまに指向性スピーカーからレーザーみたいに色んなとこからかわるがわる音が飛んできてびっくりさせられたり。
内容は、音だけでこれや、と分かるような人が入れ替わり立ち代り現れては消えていく、見終わった後の感想は、一本の映画とか演劇を見たなぁという感じ。印象的だったのは超高音質で聴く吉田アミさんのヴォイスが強烈すぎたこと、山本さんの唄(マインドゲームのサントラに似たメロディの曲が入ってたような気がするのだけどカバーとかなんかな)、あと、最初と最後の朗読にが出てくるし、なんとなーく全体の語り部的な役割だなぁと思いながら聞いてたさやさんがとにかく凄かった…
歌や朗読が普通によかったんだけど、最後に山本さんと歌った後に子供と歌ってる部分がって、そこを聴いた瞬間に、さやさんが、人間じゃなかった!みたいな衝撃を受けて脳みそがキュルキュルキュルーと巻き戻しされる感覚に陥ってしまった…。なんかずっと人間だと思ってたのに、実は精霊(うたの!?)で雑踏の空気に溶けて消えてく、みたいに思ってしまった…人とうたの間の存在のような…
あと天井にから電球がぶらさがっててそれが音と完全に同期して明滅してた。
ってところで思い出したのが、同じく天井から電球がぶらさがってて音に包まれるような、VACANTで見た大友さんのwithout recordで、対照的とまでは行かないけど、照らし合わせて考えてしまった。
「おかえりなさい、うた」は生西さんがキャスティングから構成、演出までをコントロールして、人間というメディア(記憶?)をハイテクノロジーでもってうたとして表す、wituout〜の方は、実際にターンテーブルを動かすプログラムはするものの、ある程度の秩序はもたせた上でランダムに、照明とも完全に同期はしないようにしていて、音はターンテーブルの発する物音、フィードバック音だけで、記憶を参照にした(もちろんその音色が喚起するものはあるけど)ものではない。
大ざっぱにいうと、生西さんの方は普遍的(近代的?)な芸術のあり方を踏襲していて(でもこの展示は音しかないけど「映像」だった)、大友さんの展示(とそれに伴うENSEMBLE展全体)はそれとはまた違ったものを目指してる、という感じを受けた。
とにかくここ数年は、曖昧さをめちゃ大事にしながら、音楽そのものに向けて骨と皮だけになっていっているようなテニスコーツと、芸術そのものの普遍性も大事にしながら新しい秩序を模索してる大友さんが気になってます、というか単に好きです。